2006年06月18日

目次

−プロローグ

いきなりタイです。
http://shinr.seesaa.net/article/3870521.html

フランス。。
http://shinr.seesaa.net/article/3871385.html

パリ
http://shinr.seesaa.net/article/3872663.html

サンジャン
http://shinr.seesaa.net/article/3872824.html


−2004年10月4日(月)
ピレネー越え
http://shinr.seesaa.net/article/3873359.html

ロンセスバジェス
http://shinr.seesaa.net/article/3873527.html


−2004年10月5日(火)
ララソアニャへ
http://shinr.seesaa.net/article/3895031.html

サンチアゴおじいさん
http://shinr.seesaa.net/article/3897838.html


−2004年10月6日(水)
3日目パンプローナへ
http://shinr.seesaa.net/article/3928294.html


−2004年10月7日(木)
再会
http://shinr.seesaa.net/article/3950759.html

マーラ
http://shinr.seesaa.net/article/3950839.html


−2004年10月8日(金)
Estella
http://shinr.seesaa.net/article/3951186.html


−2004年10月9日(土)
エステーリャからロスアルコスhttp://shinr.seesaa.net/article/3966959.html

ロスアルコスの夜
http://shinr.seesaa.net/article/3967051.html


−2004年10月10日(月)
大都市ログローニョ
http://shinr.seesaa.net/article/3989905.html


−2004年10月11日(月)
ナヘラに向かう。
http://shinr.seesaa.net/article/3990364.html


−2004年10月12日(火)
9日目
http://shinr.seesaa.net/article/3990974.html

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルザダ
http://shinr.seesaa.net/article/4014990.html


−2004年10月13日(水)
早起き
http://shinr.seesaa.net/article/4044387.html

ベロラード
http://shinr.seesaa.net/article/4044910.html


−2004年10月14日(木)
サン・ファン・デ・オルテガ
http://shinr.seesaa.net/article/4200102.html

アナと最後の夜
http://shinr.seesaa.net/article/4200722.html


−2004年10月15日(金)
大都市ブルゴスへ
http://shinr.seesaa.net/article/4287722.html


−2004年10月16日(土)
ラス・メゼタス
http://shinr.seesaa.net/article/4302540.html

オンタナス
http://shinr.seesaa.net/article/4492677.html


−2004年10月17日(日)
オンタナスから〜その1
http://shinr.seesaa.net/article/4519268.html

オンタナスから〜その2
http://shinr.seesaa.net/article/4541988.html

イテロ・デ・ラ・ベガ
http://shinr.seesaa.net/article/4542249.html


−2004年10月18日(月)
15日目
http://shinr.seesaa.net/article/4606562.html

ビラルカザール
http://shinr.seesaa.net/article/4697760.html


−2004年10月19日(火)
曇りのち雨〜Calzadilla de la Cuezaまで
http://shinr.seesaa.net/article/6297498.html


−2004年10月20日(水)
激痛
http://shinr.seesaa.net/article/6300894.html


−2004年10月21日(木)
激痛は続くよどこまでも・・・http://shinr.seesaa.net/article/6320362.html


−2004年10月22日(金)
el Burgo Ranerosから
http://shinr.seesaa.net/article/6385763.html

眠れぬ夜・・
http://shinr.seesaa.net/article/6422291.html


−2004年10月23日(土)
Leonへ
http://shinr.seesaa.net/article/6424326.html

レオンにて
http://shinr.seesaa.net/article/6634925.html


−2004年10月24日(日)
地図にない道
http://shinr.seesaa.net/article/6635319.html

最高に楽しい夜
http://shinr.seesaa.net/article/6636421.html


−2004年10月25日(月)
Astorgaへの道
http://shinr.seesaa.net/article/6958768.html

お誕生会
http://shinr.seesaa.net/article/6958904.html


−2004年10月26日(火)
アストルガから
http://shinr.seesaa.net/article/7096758.html

不思議なアルベルゲへ
http://shinr.seesaa.net/article/7097370.html

Manjarinの夜
http://shinr.seesaa.net/article/7097725.html


−2004年10月27日(水)
Molinasecaへゆっくりと
http://shinr.seesaa.net/article/7098244.html


−2004年10月28日(木)
オーストリアの歌姉妹
http://shinr.seesaa.net/article/7223481.html


−2004年10月29日(金)
セブレイロ峠
http://shinr.seesaa.net/article/7237618.html


−2004年10月30日
エンリケの親戚と
http://shinr.seesaa.net/article/7237930.html


−2004年10月31日(日)
ハロウィーーン!
http://shinr.seesaa.net/article/7241075.html


−2004年11月1日(月)
暗闇のなか
http://shinr.seesaa.net/article/7344543.html


−2004年11月2日(火)
メリデと蛸女
http://shinr.seesaa.net/article/7393983.html


−2004年11月3日(水)
マルガのわがまま
http://shinr.seesaa.net/article/7395281.html


−2004年11月4日(木)
Santiago de Compostela
http://shinr.seesaa.net/article/7535868.html


−2004年11月5日(金)
フメイロが振られ最果ての地へhttp://shinr.seesaa.net/article/7537142.html


−2004年11月6日(土)
終わりという名前の街
http://shinr.seesaa.net/article/7537433.html

Caminoの終わり−別れの日
http://shinr.seesaa.net/article/7537586.html




−ガイドブック
A PRACTICAL GUIDE FOR PILGRIMS http://shinr.seesaa.net/article/4555842.html
 
 
 


ラベル:目次 カミーノ
posted by shinr at 00:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

Caminoの終わり−別れの日

サンティアゴのバスターミナルに到着して、ヘラルドとはお別れ。
彼はこのままバスターミナルから違う街へ向かうようでした。
がんばれよAnimo!と声をかけてお別れしました。

空港行きのバスが出るまでほんの少し時間があって、どうしようかと。
するとエンリケはもう一度カテドラルをみたいと言い出しました。
と、いうことでカテドラルまでタクシーで。

Santiago-de-Compostela50.jpg
最後に記念撮影


Santiago-de-Compostela51.jpg
ここがゴールという石碑


Santiago-de-Compostela52.jpg
広場には大道芸人も


カテドラル近くのバルで最後にビールで乾杯
そして、空港行きのバスが出るバスターミナルまで戻りました。


Santiago-de-Compostela53.jpg
最後のお別れ

エンリケと強く抱き合って。
彼は「家族と別れるのと同じくらい寂しい」
と僕らに向かって言ってくれました。
そして、エンリケはバスに乗り込んでいきました。


ルーチョはこの日の夜行電車でマドリッドに行くそう。
僕はこの日ここサンティアゴに留まると言うことで、宿探しを手伝ってくれました。
すぐに宿は見つかって、荷物を置いて食事に行くことに。
この日は最後のディナーということでマイテが薦めてくれたレストランに行くことにしました。

が、超満員で並んでいる客が居るくらいの大混雑。
時間もないので諦めて隣のまったく客の居ないレストランに入りました。
なのに出てくる料理はどれも美味しい。
ルーチョは
「見ろよ、あんなに並んでちょっと美味しい料理を食べるなんて馬鹿げてるよな。
こっちの方が全然イイ」

そしてこれまで歩いてきた道のりを思い出しながらワインを傾けて。
ルーチョ「シンはこの旅でたくさんの人に出会ったと思うけど、これからもこんなチャンスはいっぱいあるんだから、心を常に開いて、すべての人を受け入れなよ。たまに悪いやつが来る時もある、でもその時はすぐに閉じればいいだけだからね。」
と。
思えばカミーノの最中、一人で食事をしたことなんてありませんでした。
最初の晩はベルギー人のおじさん。
二日目はレストランに集まった巡礼者。
三日目はマリアのパスタ
後はずっと一緒に歩いた仲間と。
ルーチョに会ってずっとこのグループで歩いて。
本当によかった。

Santiago-de-Compostela54.jpg
サンティアゴの駅で
別れはいつも辛い


去年の今日、僕はカミーノを始めました。
一ヶ月かけて歩いて、何も得たものはなかったと思っていました。
ですが、一年経って見てみると、カミーノを歩いたと言うことを起点にいろいろなことを始めた自分がいました。
ロンドンで英語を勉強してみたり就職活動を初めてみたり。
ルーチョが言ったようにオープンに構える努力をするようになりました。
日常から自分を解放して、
友達に素直に感謝出来るようになって
自分が好きになって
許容範囲を広げることが出来て。

この旅では本当に僕にしか出来ない旅が出来てとてもいいカミーノでした。



Caminoを共に歩いた仲間に感謝。。。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 20:57| 大阪 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

終わりという名前の街

2004年11月6日(土)

帰りは一番最初のバスに乗らないとエンリケの飛行機に間に合わないため
岬まではタクシーで行くことにしていました。
しかし、まったくタクシーがなく、仕方ないので歩いて行くことになりました。


Finisterre03.jpg
港の朝


Finisterre04.jpg
そろそろ日が昇る頃だ


Finisterre05.jpg
太陽が顔を出す


Finisterre06.jpg
日に当たる教会


Finisterre07.jpg
ゆっくりと昇ってくる太陽


Finisterre08.jpg
寒いけどすがすがしい


Finisterre09.jpg
灯台が見えてきた


ヘラルドと僕は体力が有り余っているのでエンリケとルーチョを放って先を行きました。
まるでマルガとの会話みたいに、片言のスペイン語と片言の英語で会話。
ヘラルドはアルゼンチンのガソリンスタンドで働いていて、この後、親の工場を継ぐと言っていました。
こんな事を理解するのに15分もかかって。
でも楽しい15分でした。


Finisterre10.jpg
大分離れてしまった


Finisterre11.jpg
十字架を通り過ぎる


Finisterre12.jpg
太陽がちょうど被さっていた


Finisterre13.jpg
いるかのモニュメント


Finisterre14.jpg
フィニステレの灯台


多くの巡礼者はサンティアゴに着いた後フィニステレまで赴きここで身につけているものを燃やしました。
そうすることで、罪が許されると信じていました。
僕たちも一つ、身につけているものを焼きました。


Finisterre15.jpg
ルーチョはTシャツ


Finisterre16.jpg
僕は履いていた靴下


Finisterre17.jpg
良く燃える


Finisterre18.jpg
みんなで写真撮影
一緒に移っている靴はずいぶん前に焼かれた形跡があった


Finisterre19.jpg
岬にある十字架


Finisterre20.jpg
炎を見つめる


僕たちが帰るとき、一台の車がちょうど帰るところでした。
ルーチョが話してくれて、街まで乗せてくれることに


Finisterre21.jpg
快く乗せてくれた


帰りのバスがフィニステレに到着。
なんとそのバスからオーストリアの歌姉妹が出てきました。
再会を祝福。
もっと話していたかったようだけど、折り返しのバスはすぐに出発なのですぐにお別れでした。

バスは昼頃サンティアゴに到着しました。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 18:31| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月02日

フメイロが振られ最果ての地へ

2004年11月5日(金)

アンヘル達のグループはみんなでフィニステレまで歩いていくと言っていました。
僕たちはエンリケの飛行機の関係で徒歩はムリ。
この日の最後のバスでフィニステレまで向かうことにしました。
フィニステレとは大西洋に面する街。
ここから約4日ほど歩いた所にあり、名前の通り最果ての街とされてきました。


Santiago-de-Compostela23.jpg
サンティアゴのアルベルゲ


Santiago-de-Compostela24.jpg
みんなとお別れ


Santiago-de-Compostela25.jpg
あちこちで笑って分かれる姿が見られた


Santiago-de-Compostela26.jpg
アルベルゲから見たサンティアゴの市街地


Santiago-de-Compostela27.jpg
フィニステレまで歩く人たち


僕たちはどうするかと言うと巡礼者のために開かれるミサに出席
今年は7年に一度のヤコブ年のためフメイロと呼ばれる大きな香炉が振り回されるセレモニーが毎日行われていました
このセレモニーは臭い巡礼者のにおいを和らげるために行われるものですが、
つまりは臭いものにはフタという理由。
生々しい理由です。

このミサの途中ではどこの国の人がどれくらい到着したかということを言ってもらえます。
「ハポネサ ウノ」
日本人と言われた後、ルーチョに目配せされ、うしろのおばさんにもにっこりとされました。


Santiago-de-Compostela27.jpg
カテドラルにあるパイプオルガン



Santiago-de-Compostela29.jpg
フメイロ


Santiago-de-Compostela30.jpg
天井から降ろしてこられ


Santiago-de-Compostela31.jpg
フメイロに火が入れられる



Santiago-de-Compostela32.jpg
賛美歌が歌われる中
着々と進行


Santiago-de-Compostela33.jpg
司祭がお香を入れる


Santiago-de-Compostela34.jpg
何人もの人がフメイロを振り上げる


Santiago-de-Compostela35.jpg
ずいぶん高くまで上がる


Santiago-de-Compostela36.jpg
真上を通る


Santiago-de-Compostela37.jpg



Santiago-de-Compostela37.jpg



Santiago-de-Compostela39.jpg



Santiago-de-Compostela40.jpg



Santiago-de-Compostela41.jpg



Santiago-de-Compostela42.jpg



Santiago-de-Compostela43.jpg
徐々にスピードが落とされ最後は人の手で振り子は止められる


Santiago-de-Compostela43.jpg



Santiago-de-Compostela45.jpg



Santiago-de-Compostela46.jpg
最後に記念撮影


Santiago-de-Compostela47.jpg
フメイロは元の場所に戻っていった


ミサの前、ルーチョは教会のオジサンに話を聞きに行ってもらっていた。
大きな教会の中には小さな箱がいくつか置いてあり、とても狭いスペースで相談をすることができるそうでした。
ルーチョはお父さんのことについて悩みを聞いてもらっていたそうで
ミサの後も神妙な顔をしていました。


ミサの後、知ってる人にたくさん出会ったので


Santiago-de-Compostela48.jpg
みんなで乾杯


Santiago-de-Compostela49.jpg
そして写真を撮ってもらう


気が付いたらバスが出る時間が迫ってきていました。
急いでタクシーを拾ってバス乗り場へ
ルーチョ、エンリケ、ヘラルド、僕
この四人でフィニステレに行くことになっており、四人の切符を買って
出発時刻と同時にバスに乗り込みました。

バスの中で日記を書いていると、ルーチョが取り上げ
まわりのスペイン人と
「変な文字やな」
と見回していました。
地球の歩き方はヘラルドに奪われ
かなり興味津々な様子でした。

Finisterre00.jpg
車窓


Finisterre01.jpg
途中でどんどん人が降りていき、ガラガラ


Finisterre02.jpg
フィニステレの港


この日はもうアルベルゲには泊まれずオスタルへ
二人で20ユーロの安オスタルだったものの、ベッドも綺麗でシャワーもお湯が出て。
アルベルゲ暮らしが長かったので
とても不思議な感じがしました。

ルーチョは
「俺らは仕事の後のサムライだね」
と。
ゆっくりと、眠れました。


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 00:24| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

Santiago de Compostela

2004年11月4日(木)

最終日
この日も晴れてくれよと祈りながら出発

Sta-Irene02.jpg
朝靄がかかっていた


San-Anton01.jpg
高床倉庫の中


San-Anton02.jpg
並んで歩く姿も今日で最後


San-Anton03.jpg
メアリーとキアラ


San-paio01.jpg
道はあまり良くないがどんどん進んでいく


San-Paio02.jpg
サンティアゴの空港近く
飛行機に注意


San-Paio03.jpg
牧歌的


Monte-del-Gozo01.jpg
Monte del Gozo

ずっと歩いてきて
このモンテ・デル・ゴソから初めてサンティアゴのカテドラルが見えます。


Monte-del-Gozo02.jpg
三本の塔があるのがカテドラル


Monte-del-Gozo03.jpg
あれがカテドラルだ


Santiago-de-Compostela01.jpg
サンティアゴの街に入る


サンティアゴの街に入るとともにすこしウルウルしはじめてしまいました。
しかし、、、道に迷ってしまって感動どころではなく涙はひいていきました。


Santiago-de-Compostela02.jpg
古い建物


Santiago-de-Compostela03.jpg
カテドラルに到着


ここでマルガの旦那さんと初対面


Santiago-de-Compostela04.jpg
バラを一輪


すごく自然で、とても格好良かった。

すぐにカテドラルに入ります。
カテドラルに入ってまず始め、聖ヤコブ像がある祭壇の裏に上ることが出来ます。

Santiago-de-Compostela05.jpg
そこからの眺め


Santiago-de-Compostela06.jpg
聖ヤコブの真裏まで上る


Santiago-de-Compostela07.jpg
マントにキスを


Santiago-de-Compostela08.jpg
カテドラルの正面とフメイロが見える


Santiago-de-Compostela09.jpg
みんな並んで抱きしめてゆく


Santiago-de-Compostela10.jpg
そして地下に入りお墓へ


Santiago-de-Compostela11.jpg
ここが到着地みんな泣いている


Santiago-de-Compostela12.jpg
正面からヤコブ像を


Santiago-de-Compostela13.jpg
栄光の門にあるヤコブ像の足下に跪く

Portico de la Gloria
ここでは多くの巡礼者達が右手をかけてこのように跪いてきました。
そして、この柱にはその右手の跡がしっかりと残っているのです。

4人共跪いた後、感極まって号泣。
訳も分からず、とにかく到着したという感動と
750キロを歩ききったという感動が合わさって涙。
泣いた後、まわりの観光客から不思議な目で見られながら
4人で泣いてしまったことを笑っていました。


Santiago-de-Compostela14.jpg
外に出て正面を見上げる


Santiago-de-Compostela16.jpg
王宮


Santiago-de-Compostela17.jpg
正面入り口にも聖ヤコブ


Santiago-de-Compostela18.jpg
遠目から


その後、おいしいトルティーリャの店があるとマルガの旦那さんに言われ
連れて行ってもらうことになりました。

駐車場に行くと、、車の中にバラの花束が。。。
一本だけではなかったのですね。


Santiago-de-Compostela19.jpg
旦那さんの運転は荒い


サンティアゴから少し行ったところにある
トルティーリャのお店で乾杯!
おいしいからと言って旦那さんは大量に注文し始めました。
このお店、スペイン皇太子も来るくらいの美味しいお店なので
とうぜんトルティーリャはいままでどんなバルで食べてきたものよりも美味しいものでした。
しかし、注文しすぎ。。。
残しては悪いと思って、ルーチョとエンリケと僕で必死になって食べ続けました。


Santiago-de-Compostela20.jpg
サンティアゴに戻って巡礼の仲間に会い続ける


Santiago-de-Compostela21.jpg
巡礼事務所で


ここで巡礼証明書をもらってアルベルゲへ
このときもマルガの旦那さんに送ってもらいました。
この入り口の所でマルガとはお別れ。
もう一生会えないだろうなと思いながら、分かれました。

着いてから、飲みに出ようぜと誘われるも
腹痛が酷くて断念。
せっかくみんなと居れる最後の夜なのに、自分の体を恨みました。
ずっと感じていなかった風邪が今になって出てきたようで
かなりの高熱にうなされ、横になっていました。
途中起きてトイレに駆け込み、楽になったところで就寝

Santiago-de-Compostela22.jpg
1ヶ月歩いた靴とザック


翌朝この写真を撮った後、巡礼の象徴である貝殻をはずしました。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 16:02| 大阪 ☀| Comment(4) | TrackBack(1) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月30日

マルガのわがまま

2004年11月3日(水)


マルガはゆっくりお昼ご飯を食べて、ゆっくり晩ご飯も食べて、休憩を少なくして歩きたいようでした。
僕もそっち派。
しかしエンリケとルーチョが猛反対して却下に。。。
「マルガはわがままだ」
って言うけど、どっちもどっち。

arzua01.jpg



arzua02.jpg



arzua03.jpg
川も増水している


arzua04.jpg
少し小振りになってきた


arzua05.jpg
サンティアゴが近いことが分かる

今日のアルベルゲはSta.Ireneという村にあるアルベルゲ
宿に着くと、、、


sta-irene01.jpg
またまた再開


今日の晩ご飯は
カナダ人夫妻デイビッドとメアリー、同じカナダ人のマヤ、ブラジルから来たキアラ、そしてトマス
この大所帯で食べることに。
エンリケとキアラが知り合いだった事と、僕が日本人だということでアルベルゲで話をして一緒になりました。
デイビッドとメアリーの娘さんは神戸のNOVAでアルバイトをしていて、二人とも日本のことにとても詳しかったです。

食事はピザ。
スペインはピザも美味しい。。
不思議。。。


さぁ、、翌日はゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラ
この日の日記にはこう書いてあります。
「明日はサンティアゴ、何を食べようか♪」



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 21:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

メリデと蛸女

2004年11月2日(火)

この数日、歩くスピードが遅かったせいもあって全く洗濯が出来ませんでした。
と、いうことでこの日は一人で次の街に進むことにして、洗濯を済ますことに。

Gonzar03.jpg
朝、空が真っ赤だった


Gonzar04.jpg
光りの様子が変わる


Gonzar05.jpg
朝靄の中歩く巡礼者達


一人で歩いていたと言うことで猛スピード
しかし、途中でアンヘルとホアンに抜かされました。
彼らは本当に速い。
途中の村でゆっくりしてるみたいなので到着は遅くなるのですが、
それでも走っているようなスピードで駆け抜けていきます。


coto01.jpg
道案内にサンチアゴの文字が


coto02.jpg
リス発見!


Melide01.jpg
黄色い矢印を埋めちゃった家


到着して洗濯をしていたら、おばさん二人がよってきました。
スペイン語で話しかけられていたので適当に
「Si Si」(Si:Yesという意味)
と答えていると、勝手に洗濯物を入れられました。。。。
においが移りそうで嫌でした。

そして、ルーチョらも到着。
すると、「日本人がいるよ」
というじゃないですか。
えーー!!と思いながらブラブラしていると
この旅第4の日本人発見
ワカコさんという方でイギリスに留学していた後こちらに来たそう。
めちゃめちゃ荷物が多いので、一日5キロとか10キロとずつしか歩いていなくて
アルベルゲの人に叱咤激励されながら進んでいると言うことでした。


すこしワカコと話した後、食事へ。。
サリアでエンリケの親戚達と夕食を食べたとき、見知らぬスペイン人女性がついてきていました。
彼女の前に座ったのがエンリケで、なんと彼はそのときほとんどプルポを食べることが出来なかったそう。
そしてこの日も彼女が居て一緒に夕食を食べることに。。。
幸い、アンヘルらのグループもいて、



Melide02.jpg
蛸女に邪魔されず堪能



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 23:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

暗闇のなか

2004年11月1日(月)

この日でヘルナンド、マイテ、モンセとはお別れ。
モンセが僕らに貝殻をプレゼントしてくれました。
巡礼者の目印はこの貝殻で、僕らは一つずつ持っていましたが、これで二つに。
みんな大事そうにリュックに付けました。

お話に花が咲き、出発したのは10時半でした。

Sarria07.jpg
サリアは坂の街


Sarria08.jpg
このあたりからキロストーンが


Sarria09.jpg
集団墓地


Sarria10.jpg
線路沿いを歩く


Sarria11.jpg
ハイキング気分


Lavandeira01.jpg
高床式倉庫


Lavandeira02.jpg
分かれ道


マルガと片言のスペイン語と英語で話す。
子供が3人いて、一人はロンドンのテレビ局で働いていると自慢していた。
旦那さんは軍隊で働いているらしい。
僕は片言のスペイン語と少し英語
マルガは片言の英語とスペイン語
変な組み合わせだったが、なぜか会話が続き、
アコルーニャはいいところだとかガリシア地方は最高だとか。
たくさん自慢話をされました。。


Brea01.jpg
残り100キロ


Brea02.jpg
適度な木陰があり穏やかな一日


Morgade01.jpg
残り99キロ


Morgade02.jpg
上ったり降りたりを繰り返す


Morgade03.jpg
懐かしいような景色


Morgade04.jpg
路上駐車


Morgade05.jpg
抜けるような青空


夕方頃、ポートマリンに到着。
この町は昔から洪水に悩まされており、何度も橋が流されながらも耐え続けていました。
教会や家々は上へ上へ作られていき、近代になってやっと新しい橋が造られました。


Portomarin01.jpg
廃墟の橋桁と新しい橋


Portomarin02.jpg
いくつもの橋桁が見える


Portomarin03.jpg
教会へと繋がる道の門


この階段を振り返らずに上ると、願いが叶うと言われています。
みんなで囃しあいながら写真を撮りあいながら上りました。


Portomarin04.jpg
僕も上がる


Portomarin05.jpg
徐々にあたりが暗くなって行く


Fca-de-Ceramica.jpg
煉瓦で出来ている家が多かった
ここがその製造所


そうしているうちにあたりは真っ暗に。。。
そして、地図が間違っているのかいくら歩いても目的のゴンサールという村に着きませんでした。


Gonzar01.jpg
マルガの後を追う

マルガは不安がる僕を
「ノープロブレマ、ノープロブレマ」
と励ましてくれ、歩き続けました。
そしてようやく到着。。。


Gonzar02.jpg
みんな泊まってた


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 21:30| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月27日

ハロウィーーン!

2004年10月31日(日)

一昨日くらいから毎日、今日がサマータイムの終わりだと言われ続けて三日目。
ようやく本当にサマータイムが終わりを告げ日本との時差が8時間になりました。
と、いうことでこの日はいつもより1時間長い一日。
たくさん眠ることが出来ました。

そして起きると部屋に見慣れぬものが。

Triacastela05.JPG
ハロウィーン!!

突然のハロウィンにとても驚きました。
ルーチョが言うにはハロウィンはアメリカの習慣だからハーテルがやったんじゃないかということ。
みんなを驚かせようっていうこのイベント、大成功だったようであちこちから驚きの声がしていました。


Triacastela06.JPG
トリアカステラのアルベルゲの掲示板


Triacastela07.JPG
外に出てみると青空だった


Triacastela07.JPG
みんなで記念撮影

エンリケの親戚ヘルナンドはとても記念撮影好き。
彼は一番新しいサイバーショットを持っていて、人に会うたびに
「撮ろう撮ろう」と言ってシャッターを押してくださいと頼んでいました。
僕はそれに便乗しての参加です。


Balsa01.jpg
山道に入る


Balsa02.jpg
エンリケも笑顔


Balsa03.jpg
ヘルナンド


Balsa04.jpg



Balsa05.jpg
森を抜ける


Fuente-Vieira.jpg
小休止の時にやっぱり記念撮影


San-Xil01.jpg
視界が開けていると気持ちがいい


Alto-de-Riocabo01.jpg
天気もいい


Alto-de-Riocabo02.jpg
遠くの街が見える


Alto-de-Riocabo03.jpg
羊の親子?


Alto-de-Riocabo04.jpg
川を飛び越えて進む


Alto-de-Riocabo05.jpg
電気


Alto-de-Riocabo06.jpg
馬も


突然ヘルナンドが、
「シン、俺が歩いているところを撮ってあげるよ」
と言ってくれてカメラを奪い、走って塀の上へ


Alto-de-Riocabo07.jpg
撮られていると分かっているので歩き方もぎくしゃく・・・


Alto-de-Riocabo08.jpg
次の街


エンリケの親戚はみんな英語が話せました。
マイテと話しているとき
「シンは昨日ぶつぶつと不平を言っていたけれども、些細なことは許容出来ることが大切なんだよ」と諭されました。
機嫌が悪かったのはばれていたらしく、少し恥ずかしかったとともに
そんなことをズケズケと言えるマイテが羨ましく思えました。
彼女はたぶんヘルナンドと同い年で、ドイツの薬品会社で働いているという事。
英語もドイツ語もスペイン語も話せる人です。


サリアに到着

Sarria01.jpg

ふとマラガの杖を見ると、、ハゲたおっさんの頭みたいになっていました。
杖の先に金属を埋めていなかったため、これまでの700キロでこんな風に。


Sarria02.jpg
後光も差す


スタンプを押した後、モンセの車でサモスと呼ばれる学問所へ。
ここでは修道士達が今でも住んでいて、ひたすら真理を追究しているという
ある意味現代の秘境でもあるところ。

Samos01.jpg
オペル、、かな


Samos02.jpg
正面から


なんと、サモスにはクローデッドとマリーアンドレッドが!!
久しぶりの再開で抱き合い、おもいきりキスされました。
まわりの観光客はなんでフランス人のおばさんとアジア人が抱き合ってるんだと思って不思議そうに見ていました。


Samos03.jpg
中庭に入る


係の人が説明をしながら進んでいくのですが、スペイン語のために僕やクローデッド、マリーアンドレッドはわからず。
ルーチョが
「英語で説明してくれないの?」
と聞いてくれましたが、係の人は「ごめんなさい、ないの」と。
すかさずルーチョ
「日本語とかは?」
係の人「No」
周りの観光客は爆笑でした。


その後はルーチョとマイテが僕のために代わる代わる通訳をしてくれ
楽しい社会見学になりました。


Samos04.jpg
回廊


Samos05.jpg
中央の銅像がこの学問所を作った人


Samos06.jpg
壁にはこのように聖書の一場面が描かれている


Samos07.jpg
二階から中庭


見学後、ミサを見に隣接する教会へ


Samos08.jpg
静寂の中ミサが執り行われる


Samos09.jpg
立派なパイプオルガンもあり、流れる音楽は心地よい


Samos10.jpg
修道士もミサには参加


サリアに帰ってきて私営のアルベルゲに
ここは一日6ユーロと高いものの、きっちりとした設備でとても綺麗な宿でした。


Sarria03.jpg
アルベルゲの窓から見た景色

そして、この日の食事は、、
「Purpo」
見知らぬスペイン人女性が食事へ一緒に付いてきたものの、気にせず食べます。

Sarria04.jpg


唐辛子とオリーブオイルがかかっているだけのシンプルな料理。
歯ごたえがないのはいかんともしがたい。


Sarria05.jpg
いい感じに酔って街灯を見上げる


Sarria06.jpg
その見知らぬスペイン人女性が相部屋になる。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 20:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

エンリケの親戚と

2004年10月30日

前の日の晩、エンリケだけ別の宿に宿泊していました。
理由は、従兄弟がマドリッドから来ているから。


O-cebreiro04.jpg

「・・・従兄弟ではないよね?エンリケ。」
「ああ、、親戚。」
お互いにつたない英語だとこういうすれ違いは良くあるものです。

この日はこの彼ヘルナンドとその友達マイテ、モンセの二人の女性をパーティーに加えて出発。
マリータ、パトリシア、ベティは完全に別行動になった模様でした。


O-cebreiro05.jpg
雨模様


O-cebreiro06.jpg
霧で前も見えない


Alto-del-poip.jpg
セブレイロ峠の巡礼者像


ずっと雨が降っていました。
そして、山間部のために気温も低く峠のバルに着く頃には体は冷え切っていました。
幸いにして有名な巡礼者像が見えたものの「雨のガリシア」の洗礼を受けたような感じでした。

雨で憂鬱で、寒くて、、、
一人でずっと歌を歌い続けました。
声だけは良く出て普段は歌えないような高音も綺麗に聞こえ、少しだけ気を紛らわすことができました。

Triacastela01.jpg
マツダのアクセラ(マツダ3)

今日から歩き始めた人もいるため、たった20キロしか歩かず。
ブーブー言ってると、全員に説得されました(笑)

この日のアルベルゲは4人一部屋で西部のバーみたいな作りの扉がそれぞれの部屋に付いているような宿。
オーストリアの歌姉妹やアンヘル、ハーテルのグループ、ホアンそしてヘラルドも同じアルベルゲでした。
そして、シャワーは温度の調節が出来ず
「赤」熱い
「青」冷たい
この2種類しかなく、
赤を押しては「あぢっ!」
青を押しては「冷たっ!」
両隣の人もおそらくその国の言葉で同じ事を言っていたような気がします。


Triacastela02.jpg

お昼過ぎに到着したために時間があり、オーストリアの歌姉妹と合唱大会。
エンリケのボサノバと、、、やっぱり「上を向いて歩こう」
防音はあったものではないらしく、歌った後に全館から拍手が聞こえて、、
照れました。。


Triacastela03.jpg
モンセとエンリケ


Triacastela04.jpg
ちょうどいいところでバルに行って食事


ヘルナンド「シン、これリンゴジュースだから飲んでみな」
僕「ほんまやーリンゴジュース!なんでこんなところで??」
マイテ「クスクス。。。」
僕「??ん、、、アルコール臭い。。」
ヘルナンド「それ、シドラーって言ってお酒だよ」

飲まされたのはリンゴジュースの味がするお酒。
でも美味しかったのは事実でそんなにアルコール分もなかったような。。。
ヘルナンドはスペイン軍のお偉いさんらしく、新人を鍛えるときはこんなもんじゃないよと言っていました。


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 20:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月25日

セブレイロ峠

2004年10月29日(金)

サンティアゴまで残り180キロほど。
この日も30キロ近くを歩く予定でした。

O Cebreiroはカミーノで一番の難所と呼ばれ、
聖地を目前に旅を終える巡礼者が後を絶たなかったそうです。


ambascasas.jpg
この日も雨


途中、軍人あがりっぽい人に
「若者よ、チョコレートをくれないか?」
と言われたので、
「いいよ、好きなだけ」
といってあげました。
すると、、全部持って行くではありませんか。
「いいよ」とは言ったもののまさか全部持って行くとは。
彼が去った後、ルーチョにめちゃくちゃ笑われました。。



vega-de-valcarce01.jpg
山の上にお城


vega-de-valcarce02.jpg
アンヘル達に抜かされる


Herrerias01.jpg
要所要所に黄色い矢印がある


Herrerias02.jpg
ホアン

「ヘラルドは?」と聞くと
「置いてきた」との答え。
ホアンの足の速さは殺人的で、その速さに付いてきたヘラルドはすでに足首を痛めてゆっくりと歩いていました。


La-faba01.jpg
山深くなってくる


La-faba02.jpg
山道に入る


La-faba03.jpg



La-faba04.jpg
山道を一気に上って尾根へ


La-faba05.jpg
ちらほら紅葉が見える


La-faba06.jpg
牛をよく見かけるようになる

歩いている道は当然舗装されているものではなく、
しかも高いところから雨水が流れてきて泥の川になっていました。
足下はどろどろ。
さらに足の踏み場が悪ければ填ってしまいます。
まだ体力のあった僕は飛びながら進みましたが、ルーチョやエンリケは大変だったと思います。

Laguna-de-Castilla01.jpg
最後の看板

この看板はカスティーリャ州とレオン州が巡礼者のためにたてている看板で、次の街までどのくらいあるかなどが書かれています。
これを参考に、街の名前などを確認してきました。
この村を最後にガリシアへ入るので、この看板も最後。
とても名残惜しい一瞬でした。


Laguna-de-Castilla02.jpg
歩行者と自転車が分けられる
悪路が予想される


Laguna-de-Castilla03.jpg
おそるおそる牛の後ろを通過
このほかにも馬が巡礼路で寝ていたりと、結構なサバイバル


Laguna-de-Castilla04.jpg
遠くから「シンー!!!」と言う声が

ものすごく遠いはずなのになぜか僕だと言うことがバレました。
なぜ、、でしょう。。。

雨具のせいです。


Laguna-de-Castilla05.jpg
振り向くとずいぶん高いところまで来たことが分かる


Laguna-de-Castilla06.jpg
ガリシアに入ったぞという看板


Laguna-de-Castilla07.jpg
マリータとパトリシアに追いつく
アンヘルも同じ場所にいた


O-cebreiro01.jpg
セブレイロの村に到着


アルベルゲに着いてからマリータ、パトリシア、ベティと一緒に教会へ

O-cebreiro02.jpg
懺悔する3人

新しい教会の中は厳粛でした。
この巡礼中、ミサには何度か参加したことはあったものの懺悔している人を見たのは初めて。
自分がしてみようとは思わないものの、静かな空間は好きでした。

その後、買い物へ。
そろそろおみやげのことも考え始めなくてはいけない段階に入ってきたものの適当なものが見つからず。
自分用に巡礼者を守る騎士団の印「タウ」のネックレスを買いました。


O-cebreiro03.jpg
食事の前に暖炉で暖まる


食事中マリータがマラガの事でずっと愚痴を言う。
ベティーはルーチョのことを愚痴る。
なんか、よっぽどうまくいってないようでした。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 13:13| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月24日

オーストリアの歌姉妹

2004年10月28日(木)



Ponferrada01.jpg
歩き始めてすぐに大きな街に到着


Ponferrada02.jpg
ここで豪華な朝食を取る


普段の朝食もこんな感じでした。
いつもはオレンジジュースではなくて「ソロ レーチェ カリエンテ」(ホットミルク)
パンはクロワッサンの時もあればトスタダス(トースト)の時もありました。
トーストはオリーブオイルがたっぷりのフライパンで焼かれており、カリカリでとてもおいしいのです。

少し歩いてお城を見学することに。
国際学生証が初めて役に立って少しだけ割引に。

Ponferrada03.jpg


Ponferrada04.jpg


Ponferrada05.jpg


Ponferrada06.jpg



Ponferrada07.jpg



Ponferrada08.jpg



Ponferrada09.jpg



Ponferrada10.jpg



Ponferrada11.jpg



Ponferrada12.jpg



Ponferrada13.jpg
やせ細っている
というか痩せこけている


Ponferrada14.jpg


ポンフェラーダを出て、予定を変更。
20キロ少々の歩行が30キロになりました。

少し歩いて、早めの昼食を取ることに。
メニュ(セットメニュー)を出していないバルでルーチョが話をまとめてメニュを作ってもらうことに成功。
おそろしい交渉力でした。


食後、ギターを持ったペリグリーナが二人入ってきました。
色々話をしていたら、突然エンリケがギターがうまいということになり、、、

Cacabelos01.jpg
エンリケのボサノバを聞く


なぜか「上を向いて歩こう」を弾き始め
歌わされました(笑)


その後はオーストリアから来たという二人が歌を披露

Cacabelos02.jpg
まだ練習中といいながらも歌はうまい


Cacabelos03.jpg
さらに歌う


この二人、ギターを練習しながら歩いているそうで
今日のような雨の日はギターにビニールを巻き付け歩いていました。
ハモり声がとても素敵でした。


Pieros01.jpg
歩き始めたもののこの空模様


ところが、、、


Pieros02.jpg


カミーノで初めての虹でした。


Pieros03.jpg
雨は降ったり止んだり


Villafranca-del-bierzo1.jpg
あたりは真っ暗


最後の最後で雨が強くなり、日も暮れて歩くのがとても辛くなりました。
それでもなんとかアルベルゲに到着して熱いシャワーを浴びて回復。
この日も暖炉で体を温めました。


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 23:57| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

Molinasecaへゆっくりと

2004年10月27日(水)

この日はたった15キロの歩行。
前日の半分だ。


Manjarin08.jpg
すがすがしい景色


Manjarin09.jpg
遠くの道が見える


Manjarin10.jpg
一旦登り


Manjarin11.jpg
雲よりも高い


Manjarin12.jpg
はるか眼下には小さな村


Manjarin13.jpg
道路を下って行く


Manjarin14.jpg
平地が見えてきた


El-Acebo01.jpg

こんな格好をして歩いていたおかげでマイケルとブライアンに
「Orange man〜!」
と呼ばれるように。
「日本人はみんなこんな格好しているの?」
だって。

しかし、、ブライアンとマイケルがひげの形を同じにしたおかげでどっちがどっちか分からなくなってしまいました。
ピアスをしている方がブライアン。
さぁ、、どっちだろう(笑)


El-Acebo02.jpg
この村で休憩
変わったパイを食べた。


Riego-de-Ambros01.jpg
少し歩くとまた村


Riego-de-Ambros02.jpg
雰囲気はいい


Riego-de-Ambros03.jpg
そして沢を下ってゆく


Riego-de-Ambros04.jpg
ひたすら下る


Riego-de-Ambros05.jpg
さらに下る

前の村からみんなと離れて一人で歩いていました。
一人で歩くとペースが上がってゆきます。
でも膝痛。。。


Molonaseca01.jpg
大分下ってきて道も見えてきた


Molonaseca02.jpg
モリナセカの村が見える


Molonaseca03.jpg
秋から冬へ


Molonaseca04.jpg
モリナセカの教会


Molonaseca05.jpg
橋を渡って振り向く

モリナセカの街を歩けど歩けどアルベルゲにつきませんでした。
そこで、、歩いていたおばさんに初めて道を聞いてみました。

「デ ドンデ アルベルゲ デ ムニシパル?」
「???。。。。アルベルゲ、、シーシー アキ!」
「アキ?ムーチャス グラシアス!」

ちなみに最初の質問文を無理矢理日本語に訳すと
「公営アルベルゲはなんという名前ですか?」
・・・大恥でした。
ちなみに正解は
「ドンデ エスタ アルベルゲ デ ムニシパル?」
だと思われます。


到着後、すぐにシャワーを浴びました。
二日ぶりのシャワーの気持ちいいこと。
そして、洗濯をして、ネットを見ました。

「新潟で大地震」

という見出しがあり、恐ろしい被害が記事になっていました。
それとともに「男児が救出される」などといった記事が並んでいました。

続々とこのアルベルゲにみんなが到着すると
どこで調べてきたのか口々に
「家族は大丈夫か?」
と声をかけてくれます。

実に地震が発生してから4日後のこと
未だに余震が続いていたようで、
とても日本が遠くに感じられる出来事でした。


さて、マリータ、パトリシア、ベティの3人はこのアルベルゲをパスして次の街へ向かいました。
ルーチョ、マラガは昨日の長距離歩行でダウン。
この日の夕食はホアン、ヘラルド、エンリケとレストランで取りました。
エンリケが来るまではヘラルドのこの間の話。。
もう勘弁して欲しいという顔をしていましたが、ホアンは気にせず話していきます。
エンリケが来てからは、これからの道の話など。
この夕食で初めてアホのスープを食べることが出来ました。
アホとはにんにくのことで、ニンニクのスープにパンが何切れか浸してある料理です。
味は、、、濃くてあまり口には合わず。


Molinaseca06.jpg
おそらく聖ヤコブ像




アルベルゲに帰ってきて、なぜかヘラルドが記念撮影しようと言い出して撮影。

molinaseca07.jpg




<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 20:54| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

Manjarinの夜

マンハリンに近づくと鐘が鳴らされ、オスピタレイロと何人かの若者に迎えられました。
そして、すぐにあたりが真っ暗になり、彼らの明かりを頼りにアルベルゲへ。
これまで我慢してくれていたかのように雨もしとしとと。

このアルベルゲは山小屋で、電気もほとんど通っていないようでした。
中に入ってみると本がたくさん置いてあるスペースや、調味料、野菜が大量に並べてある棚など、こぢんまりとした中でも片づいていました。

とりあえず荷物を置いて、テーブルに座らされお茶をいただいて。
暖炉に手をかざしながら冷え切った体を温めました。
その後、アルベルゲの周りでアヒルと戯れてると、、、

「グァグァグァ!ガガガガガガガ!!!!」
「痛ーーーーーーーーーーーーーーー」

スペインの山奥に日本語が響き渡りました。。。
痛かった。。。

Manjarin02.jpg
調味料が並べてある棚


Manjarin03.jpg
かろうじて豆球


マンハリンのオスピタレイロのトマスは宮崎駿に似たおじいさんで、彼の体験話が様々な巡礼者を呼び寄せます。


Manjarin04.jpg
この日泊まった仲間とオスピタレイロを助けている女性


Manjarin05.jpg
はしごを上るとマットがひいてある


シャワーもトイレもない山小屋でした。
雨の音も普段よりずっと聞こえていました。
屋根裏で何も考えず転がっていた6人。
暗い中話をして、自分の国のこと、これまでのこと、将来のこと。
狭い屋根裏がさらに狭く感じられました。


夜中、ふと目が覚めてトイレ。
あたりは真っ暗で、雨はまだ降り続いていました。
用を足して、濡れたまままた眠りにつきました。


結局起きたのは8時半。
朝食を頂いて、時間まで山小屋のお手伝いをした後セレモニーの始まりです。

その昔16世紀、エルサレムから歩いてきた美しいペリグリーナがこの村に泊まり、翌11時に発ちました。
その女性からはバラの香りがし、その香りが5日間続きました。
それから、アルベルゲが開かれました。
村が廃墟となった後もアルベルゲだけは残され、
そしてトマスも自分が巡礼者の時にその不思議な経験をし、オスピタレイロとして住み着くようになったそうです。
英語で、しかも人づてに聞いたことなので、これが本当の話かわかりません。
しかしセレモニーは毎日行われ、トマスは剣を振るいます。


Manjarin06.jpg
オスピタレイロのトマスとエンリケ


Manjarin07.jpg
マンハリンのアルベルゲ



セレモニーの後、アルベルゲを発ちました。


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 22:47| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

不思議なアルベルゲへ

なにしろ日が暮れるまで時間がない。
4人は急ぎました。


Rabanal-del-Camino02.jpg
こんな山奥でも羊の群れが
初日、苦しみながら上ったピレネーを思い出す


Rabanal-del-Camino03.jpg
道なのか草なのか分からない道を進む


Rabanal-del-Camino04.jpg
マラガは早い


Foncebadon01.jpg
遠く、平野が見える
ずっと歩いてきた場所だ


Foncebadon02.jpg
駐車場と観光客が目に入ってきた


Foncebadon03.jpg
と、思ったら廃墟


Foncebadon04.jpg
フォンセバドン、ずっと昔に廃墟になっており
今は観光地となっている


Foncebadon05.jpg
標高は徐々に高く


Cruz-de-Hierro01.jpg
十字架が見えて来た


Cruz-de-Hierro02.jpg
いろいろな人の思いが貼り付けてある


Cruz-de-Hierro03.jpg
ここを通ってきた多くの人が積み上げた石の上で記念撮影
僕も、マラガも、ルーチョも、エンリケも石を置いた


Manjarin01.jpg
マンハリンの小屋が見えてきたものの真っ暗
馬もやせ細るくらいの高地


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 19:25| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

アストルガから

2004年10月26日(火)


現金がない。。。
と、いうことでこの日は後からみんなを追いかけることにして
トラベラーズチェックを換金するために銀行が開くまで待つことにしました。
アストルガには朝市が開かれるあたりに何軒か銀行があり、
適当に大きそうな銀行なら大丈夫だろうと思って待っていました。

開店時間は8時半。。おお。日本より早いと思って
早速BBVA(ビルバオなんとか銀行)という銀行へ、、、
係の人は英語が話せたのでラッキーと思いながら換金したい旨を話すと
アメックスのトラベラーズチェックを換金するのに手数料がいくらかかるかを計算してくれました。
しかし、、制度上一枚しか換金してくれないということ。。
残念、といって、ここでは換金しないことに。

そして隣のCaja Espana(スペイン銀行)へ。
係のおじさんはスペイン語しか話せなかったものの、手数料という単語を言うと、、、
「No」
なんと無料!!
しかも枚数制限がなかったので、どうせならとすべてのトラベラーズチェックを換金することにしました。
その額900ユーロ
これから先は強盗に気を付けないといけないなと思いながらすべてのチェックにサインをして
おじさんに換金証をもらい、違う窓口へ。
なんとこの銀行、お金を取り扱うところだけ別窓口でした。
さすがヨーロッパだと思い、お金を受け取りました。

しかし、カミーノに入ってから全くお金を使っていない。
カードも使っていないのに、
しかも毎食外食なのに、
たった300ユーロで約20日もの旅をしてきました。
どれだけ、この巡礼を支えてくれる人がいるかがよく分かります。


valdeviejas.jpg
みんなに追いつこうと急ぐ


Sta-Catalina-de-Somoza01.jpg
みんなに追いついてすぐにSomozaのアルベルゲに到着


Sta-Catalina-de-Somoza02.jpg
とても綺麗なアルベルゲ
ここに泊まりたかった


Sta-Catalina-de-Somoza03.jpg
アストルガのカテドラルが見える


Sta-Catalina-de-Somoza04.jpg
道の先に見えるのは山しかない


Sta-Catalina-de-Somoza05.jpg
太陽が心強い
いつまで見守っていてくれるか


Sta-Catalina-de-Somoza06.jpg
マリータとパトリシアはいつも最後尾
マリータは
「パトリシアはいい子だよ。マルガは私を置いていくけどこの子はいつも私のそばにいてくれる。」
と言ってパトリシアをかわいがっていました。
マリータの言うとおりパトリシアは遅いマリータを怒りもせずゆっくりと、笑顔で話しながら前に進んでいました。
そんなパトリシアとの会話

僕「山しか見えない。明日から寒そうやな。」
パトリシア「楽しみー」
僕「なんで??めっちゃ寒いねんで。歩いていられないくらい」
パ「それは困るけど、、雪を見てみたい」
僕「確かに降るかも。。ああ寒い」
パ「私、雪を見たことがないの。」
僕「ええええーー!ほんまに??」
パ「私の街では降らないから」

パトリシアはサンパウロ出身。
雪は降らないそうで、スキーをやってみたいと言っていました。


Sta-Catalina-de-Somoza07.jpg
遠くの街が見える


Sta-Catalina-de-Somoza08.jpg
どの街にも教会はある
バルもある


Sta-Catalina-de-Somoza09.jpg
天気はいい


El-Ganzo01.jpg
教会


El-Ganzo02.jpg
教会の塔への入り口


El-Ganzo03.jpg
鳥の巣が見える


El-Ganzo04.jpg
道は未だ続く


El-Ganzo05.jpg
険しい山道に入ってきた


Rabanal-del-Camino1.jpg
予定のアルベルゲがある村に到着


実はこの前に休憩した村で元気があればマンハリンという所まで行こうという話をしていました。
マンハリンでは伝道師が毎日セレモニーをしているという話があり、ルーチョとマラガは行くつもりでした。
僕とエンリケは消極的で「元気があれば、、、」と。
そしてこの村で夕ご飯を食べる前に「今日はここで泊まることにする」
と二人に伝えました。
しかし、夕ご飯のワインが効いたのか、知らぬ間に元気に
「やっぱり気持ちは変わったよ、僕は行くことにする」
ディナーのテーブルでそう宣言しました。
あとはエンリケ
「仕方ないなぁ、、、シンが行くなら俺も行くよ」
と。
さすがに3人が行くとなると、一人で残るのは嫌だったらしくエンリケも参加することになりました。
もう50にもなるのに、、、大丈夫かなと、すこし責任を感じながらもご飯を食べ終えて出発することになりました。

この時点で夕方の5時。
マンハリンまで10キロの山道。
闇は刻々と近づいていました。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 22:38| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

お誕生会

アストルガに到着した時点でもうクタクタ。
でもみんなの歓迎を受けてちょっと回復。
マラガとマリータに抱きしめられ、死ぬかと思いました(笑)

そして、コソコソとお話。
パトリシア「今日はエンリケの誕生日なの」
僕「ほんまに?おめでとうっていわなあかんな」
パ「ちょ、ちょっとまって!こっそりパーティーをひらこうと思うの」
僕「おおーいいねー」
パ「いまからみんなでバルの予約してこよう」

そういってバルで予約をしました。
その後ベティとマラガはケーキを買いに。
僕は街をブラブラすることにしました。


astorga02.jpg
司教館
これもガウディの作


ガウディと言えばバルセロナが有名ですがこのレオン付近でもいくつか彼の作品を見ることが出来ます。



astorga03.jpg
アストルガのカテドラル


astorga04.jpg
司教館は暗闇に栄える色


astorga05.jpg
とっぷりと日が落ちた


astorga06.jpg
広場に面した庁舎


帰ってみるとルーチョがエンリケを引き出していました。
そして会場へ。。
みんなに言いふらしたおかげで、、、


astorga07.jpg

こんなに集まりました

astorga08.jpg
感動のエンリケ


食事時にカメラを持っているのは珍しいので
珍しく食事を撮影。



astorga09.jpg
まず、テーブルに並べられるのは食器とワイン、パン

1皿目と2皿目、そして飲み物を何にするか選びます。
そしてここからいきなりワインを飲み出します。
ルーチョなんかはパンにオリーブオイルと塩をふりかけおつまみにしながらワインを飲みます。



astorga10.jpg
まず1皿目
この日は魚介のスープを選択


astorga11.jpg
2皿目
豚肉のステーキ

たいていの料理についてくるのがパタタフリータス
このステーキにも当然のように付いていました。
そして、普通ならデザートが聞かれるあたりで電気が消され、、
ケーキ登場!


astorga12.jpg
スペインでもろうそくを消す


astorga13.jpg
ケーキが切られるのを待つ間デザート


astorga14.jpg
おいしいケーキ


ここからは各国のハッピーバースデー


astorga15.jpg
まずは英語


astorga16.jpg
フランス語


astorga17.jpg
ポルトガル語

当然日本語でも歌わされ、適当に歌詞を作りながら歌い上げる


astorga18.jpg
今日もルーチョはハイテンション


astorga19.jpg
シェフとウェイトレスが登場


astorga20.jpg
グループ固まって写真撮影


astorga21.jpg
みんなほどよく酔っていた



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 16:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

Astorgaへの道

2004年10月25日(月)

ルーチョ、エンリケはゆっくり出るということで、僕はドイツ人のカタリナと出発することにしました。
どうやら日本人に興味があったらしく質問攻め・・・
教育のこととか聞かれても答えようがなく、ひたすら困っていました。

道は平坦。
ずっと先に風力発電の風車が見えたりしていました。

次の街のバルで待ち合わせの予定が、次の街のバルは少し道から外れたところにあり
先に進むことに。

スペインの国産車「SEAT」セアトの工場を横目にお昼頃、ようやく地図に書いてあるカミーノに戻ることが出来ました。

ここでとても遅い朝ご飯を取ってルーチョ、エンリケを待つことにしました。


Puente-de-Orbigo.JPG
この橋の手前で待つ


カタリナは一緒に少し待ったものの、先に行くと言って歩いて行きました。
待っているうちに、昨日の面々と出会ったり、
お腹が痛かった時に会った双子のブライアンとマイケルが
ミとマというニックネームの二人と歩いていったり、
フランス人のクローレッドとマリーアンドレに抜かされたりしていました。

そして、1時間半くらい待っていて、そろそろタイムリミットかなと思っていた矢先
二人が到着!
ようやく出発となりました。


Santibanez01.JPG
羊の群れ


Santibanez02.JPG
クローレッドが羊の群れを見学中


Santibanez03.JPG
巡礼者に注意の看板


Santibanez04.JPG
やっぱり羊


Santibanez05.JPG
ガソリンスタンドで休憩させてもらう


ここまで来たところで疲労困憊
すでに30キロは歩いているだろうと思われました。
そして、天気も悪い方向に向かっているんじゃないかと思えるような曇り空でした。


Crucero-de-S-Toribio01.JPG
ウィル達に追いつく


Crucero-de-S-Toribio02.JPG
十字架


Crucero-de-S-Toribio03.JPG
アストルガの街が見える
あと少しだ


San-Justo-de-la-Vega.JPG
目的地は近いが足取りは重い


Astorga01.JPG
ようやくアストルガに到着



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 09:38| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

最高に楽しい夜

この日たどり着いたのはVillar de Mazarife
迷ってくる巡礼者がかなり多いのか、実はこちらが本物のカミーノなのか
アルベルゲが三軒もありました。

そしてアルベルゲについて早々、地元の青年に戦いを挑まれました。
ブルースリーは日本人じゃないよ。。。
そしてアルベルゲには良く見た顔が。
なんとアンヘル達もこっちのルートを通っていました。


晩ご飯どうしようと言うことでしたが、日曜日でもあり、バルで食べるか、、、
と話していると、アルベルゲのオスピタレイロが
「今日はお店が休みだからこの食材を使いなさい」
とパスタやらジャガイモやらたくさんの食料を持ってきてくれました。

そして、ニュージーランドからきたバッドとイギリス人のウィルがワインを調達。
ルーチョが「サバイバルの知恵」と称する料理を披露。
めっちゃ少ない油で「パタタ フリータス」(フライドポテト)を調理しました。
また、なぜか台所にあったお米を使ってお米を炊いてくれ
「これはシンが全部食べること」と大量の米を渡されました・・・

あとは宴会。
イギリス人二人、アメリカ人一人、イギリスの大学に通うスペイン人一人、ニュージーランド人一人とアルゼンチンのルーチョ、ブラジルのエンリケ、そして僕。
かなり英語が優勢でエンリケが寂しそうにしていたものの、一気にみんなうち解けあい
これまでの面白い話を続けました。
その後、自分の国の歌を歌うことに
僕は島唄と上を向いて歩こうを歌いました。
圧巻だったのはニュージーランドのバッド
ルーチョに「ラグビーのあれやってよ」と言われ
オールブラックスが試合前にやるマオリの出陣の踊りをやってくれました。


Villar-de-Mazarife02.JPG
食後みんなでお片づけ。。。


<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 20:04| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

地図にない道

2004年10月24日(日)

パラパラと雨が降る真っ暗な朝。
女性グループと男性グループで分かれて出発。
これもあの夜のおかげ。。

「こっちじゃない?」っていう言葉を遮ってエンリケが動き出す。
仕方なくルーチョと僕はついて行くことになった。
結果、レオンの街を30分近く迷うことに。。。
カテドラル前の広場についてやっと冷静になって二人の話を聞いてくれた。
その後は僕の道案内でレオンの街を抜けた。

Leon18.JPG
レオン郊外
街灯が魅力的


Leon19.JPG
レオンに向かう線路


Virgen-del-Camino01.JPG
ビルゲン・デル・カミーノの教会
ここはレオンの発展に尽くした人が育った村
新しい建物が建てられ、その時にこれらの銅像が建てられた
この彫刻はJose Maria Subirachsの作で
スペインの近代彫刻として有名


Virgen-del-Camino02.JPG
遠目に見る



ここで分岐点。
立て看板には3方向に分岐している道が書いており、一つは昔からのカミーノ、もう一つは自転車用の道、最後の一つは遠回りの道でした。
しかし、どの道がその看板に書いてある道なのかわからず、ルーチョが道のおばさんに聞いても分からず、待っていても仕方ないと言って出発することに。


途中、あきらかにこの道は違うなといいつつも、もう戻る気力もなく前へ。
現地のぼけたおじいさんと、通じる訳のない会話をしたり、ハイキングの集団を抜かしながら進みました。


Fresno-del-Camino.JPG
間違えてるのではないかと不安になったあたり


Chozas01.JPG
洞穴の住宅


Chozas02.JPG
道はさらに続く


Villar-de-Mazarife01.JPG
ようやくアルベルゲのある村に



一番遠いルートは70キロの道。
女性グループはちゃんと「なんとかマーチン」に着いたらしく、明日合流予定。
僕らは二日で70キロの道を歩くことになりました。



<<前のページ  次のページ>>
posted by shinr at 18:09| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Camino de Santiago | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。